◎元気な心で願えよではなく、元気な心で信心せよということ。一心の信心。
%1合楽会での発表。信心親子。
%2中村親子
%U



昭和四十三年二月二十日 朝の御理解


X御理解第二十八節


 %Uここのところがただ元気な心で、所謂まめで健康でいよいよ家繁盛のおかげを頂く、それを「元気な心で願えよ」とおっしゃっておられるのでなくて、「元気な心で信心せよ」とこうおっしゃる。私共がそれこそ、願いましても願いましてもこれで良いという事はありません程に、願いが尽きない程にございます。お詫びを致しますのでも同じ事、限りがないのです。それにめぐりの底は何処まであるやら分からない、自分のめぐりの深さを感じます。

 故にお詫びももう何処までお詫びしたから、これで済んだとい気はなかなか難しいものです。御礼に至りましたら、いよいよの事にも関わりませず宏大なおかげを被っております。その宏大なおかげに対します御礼という事になりますと、いよいよ御礼不足を感じます。御礼の足りない事を実感を致します。

 私はそこからです、今日私が申します、まめで繁盛するよう一心に信心せよという所が分かってくるんじゃなかろうかとこう思いますね。そうだんに、どういう信心を一心に、それでもやはりまめでありたい健康でありたい、一家中の者がどうぞ健康のおかげを頂きたい、同時にいよいよ家繁盛のおかげを頂きたい。

 Z『今日私、その御理解二十八節の最後の所と御理解二十八節という所の二十八という事を頂くんですよね。二十八というのは二つ重なって八というのは末広という意味だと思うのです。おかげを受けておるというのは、これは信心があろうがなかろうが世界中の氏子におかげをやってあるというおかげは、これはなべての氏子の上に下さっておるおかげなのです。ね。

 だから信心させて頂く所から、お取次を頂かしてもろうて信心させて頂くという事は、ね、所謂そこんところを信者氏子と教祖様は呼んでおられます。信者氏子の上には、いうならその二重のおかげがそこから、しかも家繁盛子孫盛いよいよ末広に広がって行くおかげが受けられる、金光大神の道はそういう道なんだ。そういう道を教えておられるのである。

 いよいよ私共が元気な心で家繁盛を願わなければならない、まめで達者である事を本気で願わなければならない。ね。その事を例えば、願わして頂く内容として一心に信心しなければならない。ね。一心にただ願うというだけではいけんのである。一心に信心せよ。只今申します様に、願う事詫びる事、そして御礼を申しあげる事、もう何処まで詫びたから願ったから御礼を申し上げたから、これですんだとは本当に思いませんというように、もう限りなくそこの所が分からして頂く所から、私は一心の信心が出来るんだと思うのです。ね。

 %1今日はその一心に信心させて貰うという事を、どこに焦点をひとつ置いたら良いかと、昨夜は合楽の方達で共励致します合楽会でございました。もう十二時にいつも解散の時間ですから、これでもう終わらせて頂きましょうと言うて、それでまあみんなお茶を頂いて、お茶を頂いてる間に、それからもう信心の話が次から次と出てくるんですねおかげ話が、まだ発表してない方達がその話をされるんです。その話の一つ一つがです本当にあのおかげを受けていかれる、信心が少しづつでもこう本当に分かっていかれる。

 %1ある婦人がもうその十二時過ぎにでした、話されておるんですよ。本当に信心させて貰うとおかげ頂きます、実はこういうおかげを頂きました、こんなおかげを頂きました。今日は金光様のおかげでこげん儲からせて頂きましたというて帰りました、と子供達がですね、もうお母さんあんた、もうていげいぼうけて来たばいのち、なんちゅうおかげおかげというてからというふうに子供達が申しよりましたその子供がです。

 %1最近はここの学生会の方達に導かれて、もう今日は参らんでよかじゃんのというたっちゃあ、いつの間にかお参りさせて頂いとんなさる、と子供達がおかげ頂きます。本当にお母さんだいぶこの頃ぼうけて来たっちいうその子供が反対にぼうけよりますという様な話しをしておられました。ね。言わんでもちゃんと神様がおかげ下さるんだ。

 %2中村さんが、合楽食堂の中村さんが話しておられました、寒修行に親子一生懸命の寒修行をさせて頂きましたが、もうお母さんいよいよ明日でひと月、明日でおしまいのと子供が申しますから、はあもう寒中修行のひと月間で終わっちゃあ出来んばい、明日から尚更一丁寒中修行に頂いた信心をいよいよ活かして、その後の信心に活かさにゃあいかんよと、ここまで出たけれども、これは言うちゃあならんお願いさしてもらわにゃならんと思うて、お願いさして頂いきましたら、その朝の御理解があの様な御理解で、本当にそうどころではないという。

 %2はあ今日の御理解を頂いて来てから僕の腹もまた決まったというて、次の信心に一生懸命になってくれますという様な話、でございましたが。今日私は、ね、一心に信心せよと仰せられます。繁盛を願え、まめで達者である事を願え、ね。けれどもそこにはその願ごうただけじゃあいかん、一心の信心が望まれておるのでございます。そこで私はその前提と致しましてです、私共の信心が段々分からして頂けば頂く程に、詫びても願ごうても御礼を申し上げても、ね、その詫が願いが御礼がこれで良いという事がない程に限りがない程にある。ね。

 そういう私は信心を一つの起点とでも申しましょうか、ね、そこの所を一つ分からして頂いての一心に繁盛を願え、まめである事を願わして貰うと同時、一心の信心をその後の信心に現わしていきたい。というのは朝の御祈念なら朝の御祈念を頂かして貰うその後の生活の上に頂きたい。それを今日はどうでも私は、今合楽の方達の二つの例を申しましたが、Z『今日御神前で頂きます事が、この治めるという字を頂くんですよ。ね。さんずい偏にム口と書いてある、ね、ですからどうでも、このさんずい偏の所が分からにゃあいけんのですよ。』ね。

 御礼を申し上げても御礼を申し上げても足りない、お詫びをしてもお詫びをしても願ごうても願ごうても、ね、さんずい偏というのは神様のお恵を分からして貰うという事なんだ。そこからですね、言わんですむ修行、ね、言わねばおられない、一口こう言うたらと思う事もございますけれどもです、そこに私は言わんですむ信心が一心になされる時にです。ね。

 こん時に一心が出てくるんですねやはり、金光様、言いたいけれど金光様、そこに一心に金光様が念じられる、その一心が言わんですむ。成程この頃お母さん、金光様にえらいそのぼうけなさったとこういうその子供達がです、言わんでも子供達の方が一心にお参りする様にならせて頂いたという母親のその信心、ね。成程言わんでも神様がちゃんと分からして下さる。神様がおかげを下さるという体験をです、頂かして貰う。

 そこに私は自分の心も治まる、家も治まる、一切が丸く治まる事を信じます。言うて治めたんじゃあいけません。ね。まず金光様金光様で自分の心が治まり家が治まり、一切の事柄が丸く治まって行く様なおかげを頂く為に、さんずい偏にム口である信心を分からして頂きたい体得さして頂きたいと思います。どうぞ。